本当にただの備忘録

気が付いたことを書き留めておきます。モタリケ。

人工知能に仕事は奪われるのか?

最近、人工知能という言葉をよく耳にする。
実際に、2016年にアルファ碁が世界のトッププロであるイ・セドル九段との勝負に4勝1敗と勝利し、IBM人工知能であるワトソンくんは白血病患者の正確な病名を10分で見抜き適切な治療法により患者を救うなど、人工知能は人々を驚かせる活躍を見せている。

そして、英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーンは人工知能に人間が行う仕事の約半分は奪われることになると予想している。
実際にそのようなことが起こりえるのか、以下「ビックデータと人工知能」(西垣通)を参考に考えていく。

ビックデータと人工知能

人工知能という考えかた自体は昔からあるもので、人間的な知能を持つコンピューターをつくるといった試みは50年以上前から行われてきた。今現在ここまで注目されるようになったのは、近年の技術の向上によりビックデータ扱えるようになり、それが深層学習と結びついたからである。

ビックデータとは

書物、気象データ、SNSの個人的な発言などその名の通り膨大な量と膨大な種類の情報のことであり、それらがリアルタイムで処理できるようになったことで多くの活用法が生まれた。

深層学習とは

人間の神経ネットワークの一部を真似てつくられた学習プログラムであり、自己符号化を通し元のパターンを復元できるようにすることが行われている。
つまり、入力される情報と出力される情報を比べその差異をなくすようにパラメーターを調節し、その作業を繰り返し何段階にも行うことで、神経ネットワークでもなされている多段階にわたって情報の重み付けを行うことがなされ、元のパターンを少ないパラメーターで復元できるようになる。これが、深層学習によるパターン認識の方法である。
猫の画像認識技術が向上し、ほとんどの猫を猫と認識出来るようになったのも、インターネット上の大量の猫画像を学習させることでパラメーターを調節していき、精度を上げたからである。


人工知能はビックデータと深層学習により、以前に比べはるかに多くのことが出来るようになってきている。ただ、人工知能のしていることは、あくまでもプログラムに従って過去のデータを統計処理することであり、それ以上でもそれ以下でもない。それは深層学習により機械学習が行われていてもである。

生物(人間)と機械の違い

機械は人間によってつくりだされたものであり、プログラムに沿って働く他律的で再現性のある存在である。たとえ、学習によりプログラムが次々に書き換えられていく機械があったとしても、それは事前にプログラムされているのである。一方、生物はみずからが自己をつくり変化していく動的で自律的な存在である。
端的に言えば、何をするかよくわからないものが生物で、がんばれば何をするかわかるのが機械である。
この違いは、機械にも意識や心は宿るのかといった問題や生物も物理化学的な過程によって認知しているだけなのではといった問題など現時点では不明な事柄を考慮しなくてもはっきりと言い切ることができるシステムの違いなのである。

機械は人間に近づけば近づこうとするほどそこにはっきりとした違いが表れてくる。人間を含む生物は生きることが基本的な行動指針になっていて目標設定を行っている。機械は囲碁に勝つためや猫の画像を認識するためといった明確な目標があればよいが、機械自身が白紙の状態から目標設定を行うことはできず、人間のように振舞う機械はそうすることが目的となったものでしかない。だから、人工知能が人間に近づいてもそれは意味のないものであり、人間の理解を超えた答えを出すようになっても、つくった人間が理解できない限りでたらめをいっているのと変わらず無用なものである。
生物と機械は根本的に違うものであり、それは組成がタンパク質と金属といった違いや感情のあるなしといった違いとは別の考え方でのことである。このことを間違えると人工知能がどのようなものであるのか、またどのように用いていくべきなのか考えていくことはできない。

人工知能の利用法

集合知という考え方があり、ばらばらな意見や答えを平均化していくと個々の誤差が打ち消され正解にたどり着くというものである。三人寄れば文殊の知恵ともいうが、牛の体重や瓶の中のジェリービーンズの数などは集団的推測によりかなりの精度が期待できる。そしてこの集合知は直感的・包括的に物事をとらえる暗黙知に由来すると考えられている。
この集合知はビックデータの分析と酷似しており、人工知能を用いて統計処理を行うことでそれなりに精度の高い答えを出すことが可能になるのではないかと考えられている。
集合知には限界があり、人々の偏見や誤った情報により答えが大きく左右されてしまう。そこで、集合知を利用した人工知能による答えに専門家による知識を加えることでよりその答えはより強固なものになる。つまり、人工知能は専門家にとっての優秀なツールになりうる存在である。

人工知能に仕事はうばわれるのか

人工知能は過去のデータを統計処理するプログラムであるという性質上、解釈の幅がある意味の理解や臨機応変に対応することは苦手であり、人間の完全な代替になることは難しい。ただ、膨大なデータを計算することは得意でありその点では人間をはるかに上回る。プログラムを工夫することで囲碁や画像認識、音声認識ではかなりの成果を収めており、今後も発展していくことも考えると人間の代わりに行うことや、今まで人ではできなかったことも一部では可能になるであろう。その時に気を付けなければならないのが、人工知能は万能でもなければ常に正しい答えを出してくれるわけでもないということである。それらしい答えを出してくれる便利な機械であることを忘れてはならない。


ちなみに
医療に人工知能はどの程度導入されうるのであろうか。
問診では、質問項目を用意しておけばかなり詳細に病歴を聞き取ることが可能だが、問題は正確性である。患者自身の認識不足や詐病を気づくことができるのか、ある程度不正確でもよいことにしてしまうと膨大な鑑別疾患が上がることになる。
身体所見は、機械が取ることも可能であるがすべて専用の機械をつくるくらいなら人が行った方がよいであろう。
問診と身体所見より検査のオーダーを考えなければならない。可能性を考え出したらあれもこれもと様々な検査を行ってしまうことになるだろう。ただ、問診と身体所見よりある程度疾患が絞れている場合は、感度特異度や疾患の頻度などから適切な検査を選び出すことができるであろう。
検査結果については、客観的なデータが豊富にあるのでかなり正確に行うことができる可能性がある。画像所見についても専門医レベルの診断が可能になるのかもしれない。
診断・治療については、ガイドラインがあるように一定の基準が存在するため機械的に答えを出すことは可能である。ただ正確性は、問診、身体所見、検査結果を総合して決まり、そこに一人一人の患者に対する背景なども考慮しながら行えるかというと疑問が残る。
もちろん、人間も不正確であり誤診や見逃しというのはいくらでもあるであろう。ただ、人工知能が間違えた場合それで納得できるのか、判断が難しい場合に確率論だけではどうにもならないこともあるであろう。医療は信頼関係で成り立っている部分もあり、診断や治療の決定は人工知能では難しいであろう。